遅ればせながら“ANTLERS REPORT Vol.14”の感想
明日は15回目の放送なのに・・・
今回は『クラブの存亡に賭けた男たち』
鹿島というクラブの歴史を歴代社長が語る特集だ
内容の詳細は省くが、鹿島の歴史を知ることが出来た
Jリーグ設立前、99.9999%加入は不可能と言われた鹿島
いかにして鹿島というクラブが誕生して成長していったか
リーグ最多タイトル獲得の陰で、経営陣が奔走していた
特にクラブの赤字を無くして、経営を健全化するのは大変だったと思う
経営陣の努力なくして今の鹿島はないことがよく分かった
サポが出来ることは聖地カシマに行くことくらいしか出来ない
でも、他にサポが出来ることがあれば遠慮なく言ってもらいたい
ほとんど表には出てこないが、経営陣の努力を忘れてはならない
新しいことにもチャレンジしていく経営陣に今後も期待したい
これからも鹿島が健全なクラブであり続けることを祈る
【了】
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ANTLERS・REPORT
後半は高校時代からのエピソード
サッカーの名門校のひとつ、静岡県立清水東高校に進学した篤人
この決断は佐藤文昭氏も沼津トレセンの監督川田氏も驚いたようだ
入ってからついていけるのかという疑問を抱いたようだ
それ程高い技術を持っていたわけでもなかった
そのように思われるのも当然だったのかもしれない
サッカーの強い学校に進学したいと考えていた篤人
受験前にいくつかの高校を見学していた
清水東高校もそのひとつだった
父親と見学に行った時、練習試合に参加するように促された
試合に参加させたのは、当時の清水東高校監督梅田和男氏
そこで右サイドの前目のポジションでプレーした篤人
スピードがあり、相手を置き去りにするドリブルを披露した
各地から名の通った選手が集まってくる名門校
技術的には決して高いレベルの選手ではなかった
当初はFWだった篤人だったが、右サイドハーフにコンバートされた
理由はサイドにスピードのある選手を起用したかったため
このポジションでサッカーの新たな楽しみを知った
朝の4時に起きて朝連にも取り組んでいた
家族の協力があったからこそ練習に取り組むことが出来た
高校2年の時、U-16日本代表早生まれセレクションに参加
梅田氏は勉強のために送り出したが、見事に日本代表に選出された
そして高校3年の時、右SBにコンバートされる
中盤でのプレーにおいて壁にぶち当たっていた
さらに、たまたま右SBの選手が怪我をしたことが要因だった
残念ながら、インターハイも高校選手権も出場できなかった
それでも高校時代は充実した3年間だったようだ
誰よりサッカーを楽しんでいたのが篤人だった
将来の夢は教員だったようだが、プロへの意識が芽生え始めた
清水と新潟と迷っていたが、鹿島の練習に参加したことが大きかった
そして2005年8月2日、7-2で勝利を収めた新潟戦を観戦した篤人
この試合を観て鹿島入りを決断したとのこと
親の反対を押し切って、プロの道へ進むことを選び鹿島に入団した
入団してすぐの合宿2日目
鈴木満強化担当部長が当時の監督パウロ・アウトゥオリ氏に呼ばれる
そして、篤人を右SBの中心として起用していきたいと伝えられた
その結果、入団して間もない篤人は鹿島の歴史に名を刻んだ
高卒新人としては鹿島史上初の開幕戦スタメン
ナラさんの怪我もあったが、大抜擢だったといえる
当時、その起用にとても驚いたを覚えている
それ以上に、篤人の速さにも驚いたことを覚えている
鹿島での4年半、篤人は大きく成長した
1年目は周りの目を気にしていた
今は全く周りを気にしなくなった
それは満男の影響が大きいらしい
篤人を精神的に成長させたのは満男だったようだ
シャルケ04でさらに大きく成長して欲しい
そして、大きく成長した篤人がいつの日か鹿島に戻ってきて欲しい
篤人の成長と活躍を心から祈る
今回も、とても充実した30分間
篤人のサッカーに対する考えの礎を知ることが出来た
次回のO.Aも楽しみだ
【了】
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遅ればせながら“ANTLERS REPORT Vol.13”の感想
今回は『内田篤人 〜疾風が如く〜』
鹿島から世界に羽ばたいていった篤人の特集だ
前半は移籍の経緯と篤人の幼少〜中学時代について
シャルケ04から獲得の意思が届いたのは2010年1月末
海外を意識し始めたのは、入団して2年目を終えた頃だったそうだ
2009年シーズンまでは鹿島でプレーをする契約だった
ただ、2010年以降は条件を満たせば移籍が出来るようにしていた
2010年4月中旬に再度オファーが届く
そして2010年6月11日に正式に合意に達した
体育教師の父と元陸上選手の母を持つ篤人
運動神経が長けているのは当然のことなのかもしれない
とにかく外で遊ぶことが好きだった子供だったようだ
サッカーを始めたのは地元の函南スポーツ少年団に入ってから
ただ、それ程強いチームではなかった
もう少しレベルが高いチームでプレーをしたいと考えた篤人
小学5年の時には田方FCでもプレーをするようになった
田方FCと中学校で篤人を指導した佐藤文昭氏の話も放送された
自己主張はせず、おとなしく目立たない子供だった
足は速かったが、技術的にはそれ程でもなかったらしい
地元の函南中学校に進学した時には父と姉が同じ学校にいたとのこと
この学校もそれ程強い学校ではなかったが、指導は厳しかったらしい
篤人のいた静岡県東部は静岡の中でもサッカーがそれ程強くない
そのような環境の中で篤人は真面目に練習に取り組んでいた
そして、さらにレベルを目指して沼津トレセンのセレクションを受けた
沼津トレセンは小野伸二を輩出したところ
そこでもそれ程目立たない存在だったようだ
函南中ではスタメンでも沼津トレセンではサブだったらしい
中学2年から3年にかけて篤人に変化が起きる
チームのために声を出し始めた
さらに沼津トレセンでも真面目にトレーニングに取り組んでいた
サッカーを楽しくやるためにレベルの高いところでやりたい
その考えが結果的に篤人の能力を伸ばす結果になったようだ
Vol.13-2へつづく
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後半は『夢の明日へ 〜カシマサッカーミュージアム〜』
聖地カシマにあるミュージアムの特集
“カシマサッカーミュージアム”は2004/04/04にオープン
2006年4月よりクラブがスタジアムの指定管理者になった
それと同時にミュージアムの管理・運営もクラブに任された
これはJリーグでは初めてのことだったようだ
試合が無い日でも、ミュージアムを訪れることが出来る
ミュージアムにはいくつかのコーナーがある
2002年に開催されたのワールドカップゾーン
カシマでグループリーグが行なわれた記念に作られた
そしてアントラーズゾーンでは鹿島の歴史を知ることが出来る
ここに行けば、懐かしい記憶が蘇ること間違いなしだ
運営費の収支バランスをどう取るのかが今後の課題らしい
クラブは来場者数を増やすために様々な試みをしている
スタジアムツアーやFREAKSの公開取材などの企画
アントラーズ殿堂入り選手を讃えるコーナーの設置
過去、メディアに掲載された記事が読めるライブラリーの新設
写真パネルを並べたコーナーの設置
運営側の努力を感じることが出来る試みだ
ミュージアムに行けば鹿島の歴史に触れることが出来る
最近、ご無沙汰だったのでまた行ってみたいと思った
特に新しく設置されたコーナーは行ってみたいと感じた
今回も、とても充実した30分間
慎三の生い立ちを知ることが出来た
ミュージアムの魅力を再認識することも出来た
本当に楽しい番組だ
前にも書いたが、この番組をDVD化して欲しい・・・
次回のO.Aを楽しみに待ちたい
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遅ればせながら“ANTLERS REPORT Vol.12”の感想
前半は『興梠慎三 〜たとえ回り道をしたとしても〜』
いまや鹿島に欠かせないFWに成長した慎三の特集
小学校時代入団した少年団の一つ上には伊野波がいたそうだ
地域リーグで得点王になるほどの逸材
当然のことながら、周囲の期待も大きくなっていた
少年団の監督、松崎博美先生も期待していたようだ
しかし、サッカーに興味を抱かなかった慎三
サッカーが強い中学に進まず、遊び続ける3年間
親に迷惑を掛けてしまう、少々やんちゃな中学生だったようだ
一般入試で合格した鵬翔高校に入学
鵬翔の監督になっていた松崎先生の元で再びサッカーをすることに
しかし、入部して一ヶ月で早くも辞めると言い出した
辞めると言う度に、松崎先生は辞めないように説得を続けたようだ
そして最も大きかったのは兄の言葉と語った慎三
親の言うこともきかない慎三だが、兄の言葉には耳を傾けていたらしい
自分が高校に行かなかったことを後悔していた慎三の兄
弟に同じ道を歩んで欲しくないと考えた兄の言葉が慎三を後押しした
誓志と共に全国大会にも出場してきた慎三
勝つ喜びを知るにつれ、サッカーの楽しさを知っていったらしい
誓志が鹿島に入団したことで、プロへの興味も持ち始めたようだ
2005年、誓志の後を追うように鹿島に入団
初めは攻撃的MFとして入団したが、FWとして起用されてきた
本人はイヤだったようだが、出場時間が徐々に増え活躍をしていく
2008年からは正式にFWに登録変更
そして、ヤナギの背番号『13』を背負った
その後の活躍はご存知の通りだ
他の選手に比べて、回り道をしてきた慎三
家族・恩師・チームメイトに支えられて、今の慎三がある
素晴らしい人たちに支えられてきたことで、慎三の才能は開花した
そのことに対して、慎三は感謝していると語った
いつまでも、その感謝の気持ちを忘れずにこれからも頑張って欲しい
Vol.12-2へつづく
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